宝篋印塔(曽我兄弟供養塔)
Hokyointo
14世紀後半~末
山門脇、地蔵堂前にあり「曽我五郎時致供養塔」と伝えられます。
褐色凝灰岩製(採石地:藤枝市※分布は西は袋井、東は静岡市興津川)
復元高287cm
宝篋印塔は、供養塔や墓碑塔として建てられた石塔です。方形の石を、下から基壇・基礎・塔身(とうしん)・笠・相輪(そうりん)と積み上げて1つの塔とし、笠の四隅に突起状の飾りがあるのが特徴です。
長福寺の宝篋印塔はその形式から14世紀後半~末のものと推測されます。
曽我兄弟の供養塔とされるこの宝篋印塔があることから、長福寺は「曽我物語」※を唱導した箱根修験や伊豆山修験の遠州における最大の活動拠点だったと考えられます。
※「曽我兄弟の仇討ち」とは、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が、建久4年(1193)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に父親の仇である工藤祐経を討ったという事件です。事件の経緯は「曽我物語」として脚色され、後世には歌舞伎等の題材にもなり、日本三大仇討ちのひとつとして知られます。