| 大峰山に伝わる長福寺の鐘 |
奈良県、大峰山寺の本堂内には「遠江國佐野郡原田郷 長福寺鐘 天慶七年六月二日」という後刻銘のある梵鐘(国指定重要文化財)が現存する。
総高119.7cm 、径66.8cm、重量100貫(375kg)
「天慶7年(944年:平安時代中期)」の銘は追刻で、梵鐘自体は奈良時代の作。
奈良時代に鋳造されたと確認されている日本最古の釣鐘(16口)のひとつである。

[聆涛閣集古帖]鐘銘 国立歴史民俗博物館
一五、金峯山寺大峯鐘(拓、天慶七年六月二日、遠江国佐野郡原田鄉長福寺)
松平定信を中心に編纂された古宝物図録『集古十種』(1800年)の鐘銘之部にも「長福寺鐘」の鐘銘が掲載されている。
| 寺記に云く |
『遠江国佐野郡原田郷安里山長福寺略縁起』明和3年(1766)版より
伝え聞く、本朝に龍宮より下る所の鐘三口あり、是その一つなり、長暦元年(1037)一日山伏来る。
その骨相凡ならず、止宿せしむ、終夜論談旧識の如し。則ち修力の功験に及ぶ、山伏金剛杖を以て楼上の鐘を指て云く、持去ることを許さんや。住僧許諾す。
終に山伏鐘を提て空中を飛行し去ると。誠にその鐘大峰山上に止む・・・その山伏は役行者(役小角)の化身ならんや。その因縁により大峰山寺より役行者尊像を勧請し、裏山山頂に一宇を建立しまつる。(秘仏、33年目に大開扉あり)この空を飛んだ釣鐘は現在奈良県吉野郡の修験道の根本道場、大峰山頂(1719米)の大峰山寺に現存す。

『遠江国佐野郡原田郷安里山長福寺略縁起』
| 長福寺のふしぎな鐘 ~空を飛んだ釣鐘伝説~ |
むかしむかしのこと 長福寺のつり鐘は、遠州でも他にないほどみごとなものでした。
ある日、旅のお坊さんが一人長福寺をたずねてきました。
「わたしは、これから大和 (奈良県) の国までいくのですが、お金に困っています。少しいただけませんか」と言いました。その時、村の人と碁を打っていた和尚さんは「だめだ、お金なんて一文もないよ。“かね”とつくものはあのつり鐘くらいのものだ。あれでよければ持って行きなさい。」と答えました。
長福寺の釣鐘は、大きくて一人や二人ではびくとも動かないので和尚さんは、からかって言ったのでした。ところが旅のお坊さんは、「ほう、あのつり鐘ならいいのですね。」そう言って目を光らせました。
「ああ、いいとも」と答えると旅のお坊さんは、釣鐘を杖 (金剛杖)にさし「では、おしょう、もらっていくぞ」 と、ふわりとかつぎ上げ、西の方にむかって飛んでいってしまいました。
そうして、その夜の事。「役行者尊」という尊い仏様をまつる大和の国の大峰山では、急に大風と大雨が起こり、 地の底からゆれるような、ものすごい山鳴りがしました。
そして夜があけてみると、はるか先の切り立ったような岩山の上の大松に大きな鐘がかかっているのが見えました。村人が苦心してそのつり鐘をみると『遠江国 佐野群原田郷 長福寺鐘 天慶七年六月二日』(天慶七年とは 西暦944年)とほりつけてありました。
やがてこの事は長福寺まで伝えられ、大峰山から役行者尊の霊をお迎えしておまつりする事にしました。
その後、長福寺では何度も釣鐘を作りましたが、どれもうまくいかず、ついに釣鐘を置くことはあきらめました。
| 釣鐘のない寺 |
鐘が大峰山に飛んでいってしまって以降、長福寺には釣鐘がありません。
寺伝『遠江国佐野郡原田郷安里山長福寺略縁起』明和3年(1766年)には、
「鐘が持ち去られた後、3度鋳造しようとするがうまくいかなかった。その後、近隣の修験者が祈願し、ようやく鐘を備えることができたが、その鐘の音は村の外に響くことはなかった。寛保3年(1741)8月、出火し鐘は裂けて地に落ちる。当山において鋳鐘は戒めるべきである。」と、鐘のない理由が書かれています。
| 遠州行者太鼓 |
釣鐘にかわって大きな音を出す、六尺の桶胴太鼓です。